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2010年10月

高崎市美術館

 先日高崎市制施行110周年/高崎市・プルゼニ市姉妹都市提携20周年の記念事業の「アルフォンス・ミュシャ展」を見るため第一会場の高崎市美術館に行ってきました。

          「アルフォンス・ミュシャ展」入場券

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 アルフォンス・ニュシャは1860年7月24日に現在のチェコ共和国東部のイヴァンチッツェに生まれた人で、1939年7月14日プラハで死去。

1894年に舞台「ジスモンダ」のポスターの制作を頼まれ、そのポスターが評判となり一躍パリの人気ポスター作家となった。

その後ポスターをはじめとして、リトグラフ技法を採り入れた装飾パネルからカレンダーやポストカードも数多く作ったとされる。

ニュシャの信念は、「富裕層のための芸術ではなく、民衆に親しまれる芸術」を目指したため誰でもが購入できる装飾パネルや人々の生活の中に溶け込むカレンダーやポスターをデザインしたといわれているそうである。

その後宝飾品のデザイナーも手がけている。

1904年アメリカに渡り「クオ・ヴァディス」の油彩画を書き上げる。これは重厚な油彩画出であってニュシャの芸術上の転換期ともいわれたそうである。

1910年故郷チェコに帰りプラハ市民会館の市長ホールの室内装飾を手がけたりもした。

1939年ナチスドイツに迫害を受けたりし同年の7月に人生の幕を閉じたとのことです。

この様な経歴を経たニュシャの139の展示品を見ることが出来ました。

意外に若いカップルが多くいました。

どの絵も繊細に描かれたデザインで楽しみながら観覧することが出来ました。

第二会場のタワー美術館は後日行ってみる事にしています。

   【アルフォンス・ミュシャ展】パンフレットの素敵な表紙

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三家族旅行佐渡&瀬波&村上市【最終日】 

 二泊三日の三家族旅行も11日の最終日を迎えました。

朝少し雨が降りましたが、天気予報では徐々に晴れるとのことです。

昨日は、慌ただしく中華の夕食を頂き入浴をしたので、朝風呂はゆっくり入りました。

明るくなって庭を見ると鯉が泳いでいる池があり、又京都の竜安寺を想像させる石庭になっていました。

和食の朝食を取り、湯元の設備を見学し、記念写真を撮って、8時過ぎいよいよ出発。

国道345号線を北上。

およそ20分ぐらいで笹川流れの遊覧船乗り場に到着。

しかし海が荒れていて観光船は欠航。

本来なら延々11kmに及ぶ白砂の海辺と奇岩に青松が生えている景勝地を海から見る予定であった。

今回は、たらい舟といい笹川流れといい天候に期待を削がれた感は否めない。

やむなく予定を変更して、早めに村上市に戻る。

最初は「イヨボヤ会館」に立ち寄る。入場料(おしゃぎり会館等共通券一人1,000円)

ここは三面川に沿った鮭公園の中にありました。

一階・二階は鮭の漁法や漁具、淡水魚の生態が見られる水槽が展示され魚が泳いでいました。

次に街の中心部にある「おしゃぎり会館」を見学。

内部は、屋台(おしゃぎり)が展示され、他に村上藩ゆかりの資料や刀剣、甲冑等も展示されていました。

又隣接されている国重要文化財に指定されている武家屋敷の「若林邸」をボランティアの解説員の説明を受ける。

中級武士の住居で約200年前に建築された萱葺屋根の村上市に残る唯一の武家屋敷だそうです。

次に「まいづる公園」に行き「旧岩間家住宅」、「旧藤井家住宅」、小和田家と縁のある「旧嵩岡家住宅」を見学しました。

旧藤井邸では綺麗に整備された庭と塩びきされた鮭がつるされていました。

その後鮭製品の販売店鮭乃蔵「永徳」にも立ち寄った。

昼食後「耕雲寺」に立ち寄るが、普段は人がいないような雰囲気な静かな寺であった。

次は「乙宝寺」に向かう。

ここは1300年の歴史を持った寺で、仁王門、弁天堂、三重ノ塔が建立されていました。

特に三重ノ塔は、京都の宮大工を呼んで、6年間の歳月をかけて造り上げたそうです。

国の重要文化財指定になっていました。

この後今回の旅行の最後の見学地「渡辺邸」(豪農の館)を見学。

建物の構造は、一般民家と同じだということですが、規模は3,000坪の敷地に500坪の大邸宅を要する豪農家の特色をしめしている国の重要文化財に指定されているとのことです。

又庭園もすばらしいものでした。

ただ今回大邸宅は大改装中で、どのくらいの費用が掛かるのか私には解らない事ばかりでした。

この後無料実験中の高速道路を走り、新潟市内に。更に北陸道で長岡JCTまで走り、更に関越道で前橋IC経由で心配した渋滞もなく無事高崎に着くことが出来ました。

総走行距離は842kmの旅でした。

今回は高速道料金が、往復で2,000円という安さで走行することが出来ました。

来年はどの方面に行くのか今から楽しみでもあります。

佐渡最終日をデジブックにしてみました。

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三家族旅行佐渡&瀬波&村上市【二日目】佐渡から瀬波へ

 二泊三日の三家族旅行も10日の二日目を迎えました。

昨夜の佐渡はかなり強い雨が降りました。

朝になり窓から外を見渡すと、曇りの空から一部晴れ間も見られる天候になっています。

波も昨日と違って比較的静かな感じです。

朝食は、昨日と同じ場所で頂き、8時過ぎにホテルを出発。

最初に訪れたところは、尖閣湾の遊覧船乗り場です。

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乗船料700円を払いおよそ30分間の遊覧でした。

ここでは、風雪に耐えた奇形の形をした岩々を見て回りました。

その後信号のない日本海の荒波と対決して生まれた雄大な景色の海岸線を走るなどして一時間20分かけて二ツ亀に到着。

ここはキャンプ場等も併設されていて眼下に見える島は、本当に亀の形に見える島でした。

ここから来た道を戻り相川町にある佐渡金山へ。

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三連休の中間なのでもう少し混雑しているかと思いましたが、それ程でもなくスムーズに第一駐車場に駐車できました。

入場料は宗太夫抗と道遊抗の共通券で1250円。

宗太夫抗では暗い坑道の中に採掘して出来た場所に人形と音を使って、昔の情景を再現してありました。道遊抗は現在でも一部使用しているらしく温度変化が少ないことを利用して酒の貯蔵庫として使われているようである。

この近くの「ゴールデン佐渡」で昼食を取る。

その頃から又天候が悪くなり、雨も降り出してくる。

大佐渡スカイラインに車を走らせる。

本来なら、全島を一望でき、すばらしい景色が堪能出来るはずでしたが、霧と雨で殆ど視界は聞かず、運転に注意しながら、両津港へと向かった。

2時30分過ぎに両津港に到着。

4時05分カーフェリーが出発なので、車をカーフェリー乗り場に預け乗船手続をして、ターミナルビルの「シータウン佐渡」に行く。

ここは食堂と土産物店がひしめいている。

又乗船券売り場等も併設されて、待合室にもなっていました。

3時30分新潟港に行くカーフェリー「おおさど丸」に乗船開始。

その頃は雨も止み船の後ろには、船を包み込むような虹が出ていました。

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出発迄の間には、新潟からのジェットフォイルが徐々にスピードを落として水中に翼を沈めて両津港に到着。

4時05分新潟港に向けて、出抗。

徐々に真っ黒の雲に一部被われた佐渡が小さくなっていく。

途中雲の切れ目から、僅かであるが、夕日を目にすることが出来ました。

6時30分過ぎ真っ暗になった新潟港に到着。

ここから瀬波温泉に急ぐ。

一部試験的無料の高速道を使うが、レンタカーのカーナビが古いため、途中で道の変更表示が出てしまった。

途中から一般道を走行。

しかし道路が空いていて順調に走れましたが、胎内地域ではドシャブリの雨。

およそ15分間くらい前が見えないくらいの雨でしたが、無事瀬波温泉の野天風呂で有名な湯元「龍泉」に八時頃到着。

この宿は、五部屋のみの新しい部屋でした。

遅く到着したので、着替えもそこそこに旅館と併設されている中華料理の「四川飯店」に廊下を通って行く。

お店は満員の状態でした。

円卓のテーブルに次々と料理が出てきて、紹興酒と共に二日目の楽しい夕食をする事が出来ました。

その後部屋に戻り入浴。

広い野天風呂に入りました。

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結構熱い温泉でした。

今日は夫婦毎の三部屋を用意していたので、私の部屋に集まって貰い、二次会を行いました。

この二日目をデジブックにしてみました。

三家族旅行佐渡&瀬波&村上市【一日目】寺院巡り

10月9日(土)・10日(日)・11日(月)の二泊三日で佐渡&瀬波&村上市方面に行って来ました。

18年間続いている三家族旅行です。

今回は一日目の佐渡にある寺院を見て回りましたので、その訪問した寺院をまとめてみました。

【根本寺】こんぽんじ(日蓮宗)

当山は文永8年(1271年)に日蓮上人によって建立。

山号を塚原山といい、全国の日蓮宗十大聖跡の一に列せられているとのことです。

当山の境内の中には本堂、祖師堂、三昧堂、千仏堂、妙見堂、七面堂、二王門、二天門、太鼓堂、鐘堂、宝蔵、経蔵、戒壇塚、庫裡、等凡そ二十九棟が杉や松に囲まれていて、多くの参拝者で賑わっている寺だそうです。

【長谷寺】(ちょうこくじ)(真言宗)

長谷寺は、今から約1,200年前「平城天皇の大同2年(807)に、弘法大師の創肇なり。」と『古伝縁起』に期しているようです。
 長谷寺の寺号は、地形が大和の長谷寺に似ているところから、この名前が付けられたとのことです。
 本尊の十一面観音立像3体は、弘法大師の御作と伝えられ、明治39年4月、国宝(現国重文)に指定されました。また、本尊は古来から秘仏として、 33年毎に御開帳されている様です。
 大悲殿・観音堂は、現在の建物は、元禄4年(1691)に改修され 境内の多宝塔・5智堂は、貞享4年(1687)の建立で、新潟県の有形文化財に指定されています。
 そのほか、亨保年間に建てられた仁王門や弘法大師を奉安した奥の院、不動明王を安置する不動堂、歓喜天を奉る聖天堂、鐘堂、本堂等の建物があります。

又長谷寺の三本スギは県指定県指定天然記念物としても有名になっているよう庭はボタンをはじめとして、年間を通して鮮やかな彩りのある花の寺としても有名。

妙宣寺(みょうせんじ)(日蓮宗)

妙宣寺は日蓮宗 佐渡三本山の一つ。

承久の変(1221)で佐渡に流された順徳上皇の警護の侍として都で仕えていた遠藤為盛(のちの日得上人)が自宅を寺として開基した日蓮宗佐渡三本山の一つといわれ、山号は蓮華王山。本尊は釈迦如来。

ここには、特に日光東照宮の塔を模した県内唯一の五重塔が(国重要文化財)が建立されていることで知られている寺。

【国分寺】(こくぶんじ)(真言宗)

天平13年(741)聖武天皇の詔により諸国に一か寺ずつ建立された国分寺のうちの一か寺、天平宝字8年(764)、佐渡国分寺として落成したと言われています。

仁王門を入るとまっすぐに伸びている参道の奥に瑠璃堂があり、隣には国分寺跡の石碑が建っていました。

蓮華峰寺(れんげぶじ)(真言宗)

蓮華峰寺は、新潟県佐渡市にある真言宗智山派の寺院。大同元年(806年)、真言宗の開祖、空海の開山という伝承をもつと言われ山号は小比叡山(こびえいざん)。

金剛寺、室生寺とともに真言の三大聖地の一つとされる。

小高い山に囲まれた谷地に、金堂を中心として山門、客殿、庫裏、鐘楼、、弘法堂、御霊屋、骨堂、八角堂、八祖堂、山王権現社、小比叡神社など多くの建築物が現存している寺です。

7月には、アジサイが咲き誇り別名アジサイ寺とも呼ばれているとのことです。

なお今回私の勘違いで京都にある清水寺を模したといわれる「清水寺」(せいすいじ)に立ち寄るはずでしたが、誤って「石名清水寺」に立ち寄ってしまいました。

これが今回唯一の寺院巡りの心残りです。

又この項は佐渡のパンフレット等も参考にしながら、作成をさせて頂きました。

この寺院等をデジブックにしてみました。

               

三家族旅行 佐渡&瀬波&村上市【一日目】 佐渡

 10月9日(土)・10日(日)・11日(月)の二泊三日で佐渡&瀬波&村上市方面に行って来ました。

平成4年に同じ会社の三家族が毎月一定の金額を積み立てて、当初は一泊二日の旅行から始まりました。

平成14年から一泊では行く場所に限界があるとの理由から、二泊三日になりました。

毎回10人乗りのレンタカーを借り手の私が運転手を勤める自動車での旅です。

今回は特にまだ佐渡に行ったことがない人からの強い希望もあり決定。

今回はカーフェリーを使用のため、7月にカーフェリーをインターネットで予約。

8月に入りカーフェリーが故障したとのことで、時間変更の連絡があったり、その後修理が早く終わり正常の状態になった旨の連絡がありと、カーフェリーには今回振り回されました。

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この旅行期間中天候は、雨の予報でしたが、とりあえず出発時は曇り。

9日午前2時少し前に出発。前橋ICから関越道経由で新潟西ICまでおよそ200km。

4時45分佐渡汽船の発着所の新潟港到着。

ここで乗車券等を購入するが、予約時54,840円が、サービス期間中とのことで44,640円に約10,000円割引になっていました。

何か最初から大きなお土産を頂いた感じ。

6時5分「おけさ丸」がようやく明るくなってきた曇り空の新潟港を出航。

佐渡の両津港まで、およそ2時間半、約67kmの船旅。乗客はそれぞれの場所を確保し、談笑したり、横になって寝たりと、人様ざまでした。

途中新潟に向かうカーフェリーの「おおさと丸」と出会い、新潟・佐渡間を1時間で結ぶジェットフォイルに抜かれたりしながら、曇り空の両津港に8時30分到着。

いよいよここから二日間の佐渡旅行の始まり。

最初の目的地、「トキの森公園」に。

公園内にある佐渡トキ保護センターやトキ資料展示館で(大人200円)トキを見ることに。

檻の中の白いトキが羽を広げて飛ぶとき、羽の内側がピンク色で大変綺麗でした。

この辺から弱い雨が降ってきました。

根本寺・清水寺・長谷寺・妙宣寺・国分寺・蓮花峰寺等(この寺関係は佐渡寺編でまとめてブログにします)を見学。

その後、酒蔵の尾畑酒造により、試飲や土産用のお酒を購入。

正午近くに「たらい舟」に乗るべく小木港に行く。

しかし、波が荒く「たらい舟」の乗船は中止とのこと。

ここで昼食を取る。栄寿司店で「ちらし寿司」を頂く。

ここからは沢崎鼻灯台を経て、西三川ゴールドパークに立ち寄る。(大人700円)

皆一攫千金を目指して、砂金取りに夢中になるが僅かな成果で終わったようです。

その後人面岩や夫婦岩を車中より眺めながら、今日の宿泊地相川町の夕日に一番近い宿とうたわれている「ホテル吾妻」に到着。

しかし残念ながら、曇り空のため、期待した夕日は見ることが出来ませんでした。

この後新鮮な海の幸を中心とした料理が並び、お酒も入って、三家族の会話も弾み、楽しい食事となりました。

この後ロビーでは、おけさ節の実演会が行われ、最後には、宿泊客の参加してのおけさ節の踊りが、盛大に行われました。

私が期待していた、「鬼太鼓」の実演は、会館がアスベストの関係で使用できなくなり、現在相川町では、見ることが出来ないとのことで、これは非常に残念な事であった。

この一日目の「寺関係編」(後ほどデジブックで公開)を除いてをデジブックにしてみました。

問屋街ハイキング 鋸山(329.4m)

10月3日恒例の問屋街ハイキングが行われました。

今年は、千葉県安房郡鋸南町と富津市の境に位置する「鋸山」(329.4m)とそこに隣接する「日本寺」を散策する行程でした。

本来なら天候は雨が降る予報でしたが、晴れ間が見られる程の天候に恵まれました。

バス3台で問屋街センター前を6時30分出発。

途中関越道・首都高を経由して、ベイブリッジを通過し、海ほたるで僅かな時間休憩。

首都高では、現在建設中の東京スカイツリーを望むことも出来ました。

アクアラインを更に進み、9時35分金谷港の駐車場に到着。

ここから関東ふれあいのコースをたどって鋸山の登山口を目指す。

登山口からは、いきなり石段が長く続く。

ひとしきりの汗を掻きながら、しばらく登ると、眼下に金谷港が見えたり、石切場の跡を見ながら登ると、程なく北口管理所に到着。

ここには、百尺観音が建立されていました。

更に上り詰めると、山頂に出る。

山頂には、地獄のぞきと言われる、ライオンの顔に似た岩が突き出ている。

ここから下を眺めると、眼下に今登ってきた所が見える。

ここからは、360度の展望である。

この様な岩になったのは、凝灰石から成り建築などの資材として適していたため採掘された。

その結果、鋸の歯状に見えるところから、鋸山と名付けられたようである。

ここから1500羅漢道を下り、大仏が建立されている日本寺の大仏広場に出る。

ここで各々昼食を取り、午後2時バスに集合。

帰路は、来た道を帰るが、海ほたるでは、多くの時間を取る。

ここからは、風の塔や東京スカイツリーも見ることが出来ました。

6時過ぎに無事出発地に到着できました。

この行程をデジブックにしてみました。

母の三回忌

10月3日(土曜日)母(天徳院照善妙孝大姉)の三回忌を行いました。

母は、平成20年10月15日92歳で自宅で眠るように逝去されました。

早いもので三回忌を迎えました。

秋空の中、曼珠沙華も今年はやや遅く蕾の状態が多い中一部華やかに咲き始めていました。

この「天龍護国寺」には、塚越家の多くの親戚の人が葬られています。

この中には、若くして無くなった我が娘も眠っております。

天龍護国寺は、天台宗の宗派で、昔はかなり多くの僧侶がいた寺院だったそうです。

現在はその面影は殆ど残っていません。

今回は、兄の意向で人数を絞ったようです。

法要後は私共がよく利用している夜しか店を開いていない「天城」にわがままを言って粗宴を行ってもらいました。

いつもの料理と異なって法事用の料理にしてくれたようです。

母方の八十八になるおじさん他一名が、場所を間違えて遅れると行った、ハプニングが起きましたが皆母の思い出話と、それぞれの法事でもない限り、顔を合わせる機会がない親戚が、近況を語り合う楽しい宴となった気がします。

この後兄弟が末の妹の家に集まり、父や母の思い出を語り合いながら夜遅くまで、飲み食いを行い楽しい時間を過ごしました。

【天龍護国寺】

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【母の三回忌を記した張り紙】 【父と母が眠る墓】

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    【墓誌】         【我が娘が寝る墓】

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   【天城】          【法事料理】

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プログラム変更

 10月1日から、私が行っているスポーツクラブ「DO SPORTS PLAZA高崎」のプログラムスケジュールが変更になりました。

今回の10月から来年3月までのプログラムでは、私が会社が終わってからの参加しているPM6時から8時までの時間帯でのプログラムの変更は、水曜日のPM6時からのベンチステップが初級エアロに変更になった位です。

現在は毎日二本のプログラムに参加し、その後サウナ等に入浴して、我が家に帰るのはPM9時頃になっています。

帰ってから夕食を取ります。

このスポーツクラブに会員になったのは、高崎で始めての本格的スポーツクラブが出来た18年位前からでした。

はじめは会社が会員になりそれで参加するようになりました。

当初は一日参加する毎に会費の他に当日の参加費が必要でした。

一年後に個人会員(月9450円)に変更しました。

その後妻(恵さん)も入会することになり入会金10万円を支払いファミリー会員(月15750円)に。

しかし各地でスポーツセンターが出来るようになり、競争も激しくなったためか、日毎の参加費が無くなったり、個人の入会金が無くなったりと変化してきました。

会員の入会や退会の変化も激しく永く継続的に続けるのは結構努力が必要です。

よく18年間も続けてこられたと自分自身誇りにしています。

現在は昼間は結構退職者が多くなってきた感じがします。

退職者の憩いの場所と同時に健康維持に利用されていると思われます。

この参加者の中には、趣味が同じ人達で作られている、サークルが自然発生的に作られていきます。

現在私は、山登りを行っている「山楽倶楽部」とサウナ仲間で比較的お酒の好きな高年齢者の集まりである「あ・あそう会」という集まりに参加しています。

「山楽倶楽部」は現在50名くらいのメンバーで、昨年までは、月2回程度の山登りを行ってきましたが、今年からはメンバーから月2回は少し多すぎるのではとの声で、月1回にしました。

この為か中型バス(定員24名~29名)がキャンセル待ちになるほど、いつも参加者が多くなりました。

先日は一泊二日で「燕岳」(つばくろだけ)2763mに登ってきました。

「あ・あそう会」はサウナに入っていて、今度いついつが飲み会と連絡していたとき、参加者が”あ~そう”という返事で答えていたのが、この名称になった由来です。

最初は6・7名ほどの集まりで、月1回飲んでいましたが、今は21名の参加者になっていていつも殆どの人が参加しています。

異業種の仕事を経験した人々の集まりで、飲み会の時は、色々の話題が出て楽しい宴会となっております。

妻の方は、時々ランチを食べに行く二つの仲間の会があるようです。

スポーツクラブは、単に運動をするだけでなく、こういった集まりがあるのが又楽しみでもあります。

2010年10月から2011年3月までのプログラム

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私が参加者や行程表を作って張り出しているパンフレット

【山楽倶楽部】

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【あ・そう会】

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